東北震災 福島第一原発近辺ツア 2016.3.27

今回で3回目の東北震災見学です。千種高校ラグビー部同級生の茨城大学の伊藤哲司社会心理学教授とともに行きました。哲司とはベトナムにも連れて行ったもらったり、初めての東北震災見学も同行してもらったり、今の私の海外渡航等は彼なくしてはなかったものです。今回福島第一原発20km圏内が夜間帰宅許可がでて、木戸川で鮭の稚魚の養殖がはじまったこと、福島第一原発の10Km以内の国道が通れるようになったことを聞いて、より原発の近くに行くことが目的でした。

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前日から水戸に入りました。駅前に水戸黄門様がいらっしゃいました。暗くてみえず、すみません。
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翌日水戸の公園での撮影です。哲司と哲司の姪と私です。哲司の姪は当院で働く栄養士の卵です。
その後木戸川へ行きました。下記写真は震災以前の木戸川です。
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木戸川は鮭が集まることで有名な川だったそうです。
震災当時の写真が下です。津波で水没しています。上の写真と同じ場所です。
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震災後5年間は野放しになっていたようです。
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稚魚の放流もできず、年々帰ってくる鮭は減っていたようです。ただ鮭は海に行くので汚染はされていないとのことでした。
この地区は原発20km圏内でしたのでなかなか夜間帰宅許可がおりなかったようです。仕事もできず、生活はどうしていたのか養殖場の方に聞きましたら、東電からお金をそれなりにもらっていたようです。東電が損害賠償をしているとのことでした。
 実際は今は夜間帰宅許可もでてますが、1,2割の人しかもどっていないそうです。木戸川の鮭養殖場の方もまだ10歳以下の子供がいたので、ぶっちゃけ家族と共に戻りますか?と聞いたら、現実的には子供がいるので帰りませんと言ってました。
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放射線量測定器が漁業組合に置いてあり、測定しているそうですが、実際には被爆はないようです。木戸川では地域の放射線量はせいぜい0.2μシーベルトでした。
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 上記写真のように養殖場は再稼働しておりました。稚魚もたくさんいました。10月末が鮭の最盛期らしいのですが、去年は結構皆さんが支援してくれて売り切れ続出で、来てくれたお客さんには申し訳なかった程だと話していました。
次に富岡町にはいりました。原発のある大熊町に隣接する富岡町には車は入れますが、基本的に歩行、自転車禁止地域でした。車の外では被爆するからだそうです。国道6号線を通り、福島第一原発に道路上一番近い位置 原発数キロ圏内にも行きました。
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このあたりの国道にある放射線掲示版には3.6μシーベルトと一番高い値がでておりました。
下記写真のようにまたそのあたりの国道沿線住居の道路側に塀があり、全く入れない異様な光景でした。
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近くの処理場に行きました
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その近くのところでは線路が曲がったまま放置されておりました。
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桜がきれいな道も誰もおらず、卵の自動販売機は5年前のままで荒れておりました
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そこでの放射線量は2.5μシーベルトと高く、ふと東京オリンピック招致のときの安陪首相の“原発はアンダーコントロール”という言葉を思い出しました。
震災復興は まだまだと 自分の目で確かめれた時間でした。なにかのお手伝いはしたいと思いますが、少なくとも東北の震災の話題は今後も取り上げていきたいと考えております

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