千種高校ラグビー部18回生 夏合宿やまぶき荘へ泊る 2016.11.5

私が生まれたときに千種高校ができました.桜山中学では朝練習だけのサッカー部には所属していましたが,いわゆる帰宅部でした.一生懸命勉強しました.桜山中学からは約20名ほどが千種高校に行き,その4名ぐらいがラグビー部入部を決めていました.私は彼らに押されてラグビー部に入ってしまいました.二回生ラグビー部には芸能人の舘ひろし氏が在籍しております.OB会でゴルフも同行させていただいたことがあります.

我々18回生ラグビー部約15名はシードを落としたり,お世辞でも強い学年ではなかったですが,30年たった今でも年に数回は会っています.30年前ですから根性論の練習で チンコロ(罰練習)とかも懐かしいです.会うといつも同じ話題ですが,何とも言えない連帯感があります.一生の友ですね.

我々の時代はラグビー部の夏合宿は駒ケ根でやりました.千種高校から二時間ほどかけてバスで行くのですが,とても憂鬱でした.終わった時のそう快感もひとしおでした.私自身は大学もラグビー部でしたが,高校時代の仲間の方が連帯感はあります.

去年から夏合宿をやろうということになり,ラグビーの服(ラグジャー)をきて 昔の練習をやりました.今年度は実際に昔泊まった やまぶき荘に宿泊しました.去年は私参加できずでしたので 今年は初参加でした.しかし土曜日の外来後でしたので,練習には参加せず,やまぶき荘からでした.

私が到着時には宴会となっておりました.

副キャプテンの信ちゃん(私と小学校から同級生)が作ってくれた記念品です.私は背番号5番でロックをやっておりました.当時監督だった 大将(今は故人です)からは  ”高橋!立て!”とか 試合中によく声をかけられたものです.当時私は178cm 73kgでチームの主役で,私が活躍するかしないかでチームの明暗が決まっていた と言われてました.

翌朝一人で日の出をみました.合宿時はよく朝散歩したものです.高校も大学時代も そこかしこが痛くて散歩もとても嫌だったのを思い出しました.実父の一周忌でしたので私は朝早く,名古屋に帰りましたが,ちゃんと皆がお見送りしてくれました.いいやつらです.

欧州糖尿病学会ミュンヘン観光編 2016.9.14

ミュンヘンでの 観光を書きます.

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ミュンヘンのホテルからの景色です.青空と綺麗な教会が見えました.img_42731

ホテルの前の公園にピアノがあり,夜までピアノ演奏が聞こえてきました.文化の違いを感じました.

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恒例の朝の散歩です.誰もいません.日本とは景色が違う.14333594_1120007091422306_2326514441244589270_n14316988_1120007148088967_6676292752897205672_n14333760_1120007094755639_2279923621660760299_n14330015_1120007164755632_389723274410751541_n

ミュンヘンにある 旧王宮レジデンツ 旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮 期待せずに入った分,綺麗でした.でも欧州はほぼすべて中世のもので同じですね.日本は1500年の歴史が時系列のごとく生きて残っているのがすごいと,日本の凄さを思いました.

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言わずと知れたノイシュヴァンシュタイン城,ディズニーランドの原型.下記が説明文

バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された.2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた人物で、ワーグナーを庇護し、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。一方、ヴァルトブルク城ヴェルサイユ宮殿を目にしたルートヴィヒ2世は、「私自身の作品」として自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意し作ったが,ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された実用には不向きな城である。2世は内向的で,客を呼ぶ人ではなく,薄暗い内部がその性格を物語っているとのこと.この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われている。

今回は日本人のガイド,日本人だけのツアーでした.集合場所にいつも講演会で演者で見かける先生がお見えになり,その奥様だけの参加でしたので 我々と行動を共にしてもらい,途中ビールも飲んでいただき,とても気さくないい奥様でした.いい出会いでした.その教授はEASDの仕事であったらしく,あとから丁寧な御礼メールがきていました.一人で困っている方がいたので一緒に行動させていただいただけなので,こちらもいい出会いに感謝しております

添乗員から聞いたのですが,ドイツは食物自給率がほぼ100%,またドイツ人は身体は大きいが怖がりだとか.. イギリスのユーロ離脱はやはり大変なこと. 難民はちゃんとすみ分けているとのこと ドイツの収益の半分はバイエルン地方だとのこと あとインド人のツアーガイドもしたことがあるが,ツアーに来る人はインドの高い階層の人なので トイレに入っても後片付けができない,やったことがない,やってはいけない(後片付けは下層のカーストのひとがやる)らしく,インド人の観光客ツアーの後のトイレはすごいことになっているとのことでした. ロシア人中国人は声が大きい.アジア人の中でも日本人は非常にマナーがよく,ありがたがられているとのことでした.またドイツ人は古いものをとても大事にしている点は日本は全然違うと日本人ツアーガイドが教えてくれました.

下記写真はミュンヘン近郊の カトリック教会 ヴィースの巡礼教会.

ヴィースの巡礼教会

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下記は説明文

1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したという。教会ではこれを奇跡とは認定しなかったが、この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方であった。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会である。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年であった。設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移し、亡くなるまでこの教会を見守り続けた。

外観は牧場の中に建つ、非常に質素な教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。ロマンティック街道ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっている。

食事:

L’Osteria (Künstlerhaus)

初めてのミュンヘンでの食事 一つがでかい!!
かみさんが気付いたが 屋外で食べていたが,野鼠がいて,女性は食事どころではなかったみたい.でも値段は安く,おいしかった

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Les Deux サツマイモのフライもでておいしかった

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Ludwig’s Hotel & Reataurant (Fussen) 城廻の途中フッセン休憩中 二時間ぐらいここにいた.まあまあ..

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Restaurant Pageou ホテルの近くのレストラン.初めて正当なレストランでおいしかった.一人少な目で頼んで一人50ユーロ.初めて一つ一つの料理量が日本並みであった.

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欧州糖尿病学会で発表してきました 2016.9.14

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海外で発表するのは15年ぶりでした.糖尿病からくる神経障害(足の痛み,しびれ)の当院での研究です.足に電極をつけて痛くなったら患者さんにスイッチを押してもらって調べて結果です.日本でしかない機械でしたので 海外では現在は評価が高くなかったです.早期診断の評価にはとても役に立つとの発表をしてきました.

私英語があまり得意ではないので 発表後の質問内容があまりわからぬまま返答していました.まあこれも勉強でした.来年はポルトガルのリスボンでの発表です.再度演題投稿する予定です.

がんの ホリスティックアプローチ会で講演しました. 2016.8.28

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私が理事をしているホリスティック医学協会の勉強会でした.私イタリア ミラノからの参加でした.事前にスカイプを現地ウイルあいちで確認しましたが,スカイプ自体の問題あり,ラインで画像で登場しようと思いましたが,視聴覚教室でポケットワイファイがうまく入らず,双方向性にはならなかったです.結局ライン電話をとおして私の声がイタリアから直接日本で流れたことは画期的でした.ワイファイの部屋の問題かと思いますが,いくつか経験して,今後は完璧にしたいと思います.海外からでも参加できうることがわかりました.でも会場の皆様には迷惑をおかけして,すみませんでした.

私の講演の内容はまず癌の総論的な話から西洋医学的治療の話しをしました.

西洋医学の抗がんガン剤治療は実はとても進化しており,肺がんにおいて最初の抗がん剤治療が無効でも二度目に抗PD-1抗体を使うと2割ぐらいの患者さんは癌の進行がとまり,その肺がんではなくならないという報告があります.それぐらい抗がん剤も進化しています.

次に治療の選択肢が広がった話をしました.

抗がん剤は進化したものの,西洋医学のみの治療の時代は過ぎ,治療の選択肢が広がり,それを個人で判断する時代になりました.

各々の治療は患者によって正しい場合もあれば正しくないこともある.その時その患者によって正しい治療が変わるもの.その考え方が中観思想.この考え方は 日本人ならば容易にわかるが,実は知らぬうちにわからなくなり,治療する医師等は自分の専門分野にしばられてしまう.洗脳されないようにするためには中観という考え方があ ることを医療従事者は自覚する必要があると話しました.

私,及びホリスティック医学協会中部支部としては 癌で困っている 癌難民への相談窓口を私医者がコーディネーターとしてまちうけるシステムを構築したく,準備していく予定であることを話しました.30年間の歴史をもつホリスティック医学協会はその役割的には最適だと考えています.私が11月からホリスティック医学協会中部支部の支部長になりますので,最高責任者として人のためになるをどんどんしていきたいと思います.

緑区糖尿病を勉強する会 2016.9.3

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年に二回となるはずが,今回は一回となった緑区糖尿病を勉強する会を9月3日土曜日に開催しました.今回は第一なるみ病院のために 開催を遅くにずらしました.緑区の糖尿専門医数人で始めた会です.

下記は16時からの緑区民のための講演会です.ほぼ当院の患者さんでした.50名ぐらいは来ていただきました.感謝です.”足からみなおす糖尿病”と題して私医師⇒加藤看護師⇒長谷川トレーナーと話しました.足が壊死している写真等もだしました.参加していただいた方からの感想では 改めて足の重要性がわかったとも言われ,満足しています.今後もこの区民に対する講演会は継続していきます.

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18時半からは 医療従事者だけの会です.通常は呼ばないのですが,外部から講師を招いての講義から始まりました.新薬の効果についても絶賛されておりました.その使い分けの話をされました.

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その後役2時間かけて 梶野先生から提示していただいた症例についての 医療従事者での検討会をしました.これはワールドカフェ方式と言って 各テーブルで話し合いをして,それをメンバーを変えて何度か話あう方式をやりました.初参加の薬剤師とかからは とても勉強になったと感想がありました.今後も緑区の糖尿病のレベルをあげるために この回を継続します.

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イタリア トレノに弾丸ツアーで行ってきました.2016.8.27~8.30

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私のかみさんはトリノで数年前ホームステイをしました.その時の娘さんが日本にもきていただき,我が家で泊まったりして,家族同士の交流をしていました.そのイタリア娘が結婚することになり,今回テロ等のこともあり,かみさん一人では行かせれず,私も同行しました.

クリニックを代診としてしまい,患者さんには御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした.

セントレア8時20分発⇒成田⇒パリ⇒トレノでその日の23時に宿に入りました.翌日日曜日に教会10時に集合,その後場所を移動してパーティがありました.結局終わったのが20時でホテル戻ったのが21時半頃でした.

結婚式はもちろんカトリックの教会でしたが,こじんまりとしていました.

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かみさんと新婦さんの再会も感動的でした.

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私も勿論顔見知りですので 新婦は日本語で私にも話してきました.”本当に来てくれたの,本当に” と.幸せごとなので無理してでもイタリアまで来た甲斐がありました.

新婦の両親はものすごく良い方でした.かみさんはホームステイでよくしてもらっていたので再会して全員が感激でした.両親は私にも気を使ってくれて,とてもうれしかったです.

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かみさんは暑いにも関わらず,着物姿で参加しました.多数のイタリア人から ジャポネと声をかけられていました.

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式場は町中でしたが,その後のパーティは車で一時間ほど移動したお城でした.

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正直 10時から10時間ですから,最後のほうは私疲れて寝てしまってました.またパーティはお城のようなところでしたので トイレが数が少なく,おなかの弱い私は下痢してしまい,大変でした.腹の冷えだとわかっており,真武湯を倍量のみましたが,疲れもあり,下痢となりました.

お城でのパーティはフルコース料理があり,おいしかったです.

IMG_4157[1]IMG_4155[1]歌新婦の両親はうれしさが満ち溢れ,何度も娘と踊っていました.

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運よくが悪くか,日本人が10人ぐらいいましたので,その集団で動いていました.オペラの先生もいて またその方が日本の素晴らしさ,日本のあるべき姿を話してくれて,まさかイタリアで共感する方と会えるとは思いませんでした.

花嫁さんは 日本語も堪能ですが,イタリアの経済状況が悪く,パートでしか仕事がないそうです.でもそんな暗い雰囲気は全くなく,これもイタリアの国民性なのかなと思いました.一緒に動いた日本人10人には結構トリノを好きな日本人が多くびっくりしました.

翌日はトリノの早朝をジョギングしました.

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トリノの観光はほとんどできませんでしたが,好印象を持ちました.
イタリアでの結婚式は日本とは全然違いましたが,イタリア人の陽気さ,優しさがとても伝わったいい結婚式でした.

元気の学校 ナチョラルハイジーン勉強,体験会にでてきました.2016.8.21

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リアルインサイトの鳥内氏の企画 に参加しました.7月は森林浴でした.今回は自然食です.ナチョラルハイジーンです.これはアメリカで発生した,自然食品を丸ごと生で食べることをモットーにしている会です.

思わず私がマクロビオティックスとはどう違うかを聞いてみたら,”マクロビは宗教です”と一言.とてもよく知っている人でした.マクロビは食事とよく言われますが,基本的には世界平和の思想です.また日本人が作ったもので,日本では最初それほど流行らず,海外でマドンナ等が実践して有名となり,日本へUターンしたものです.すべてが生食を推薦してはいないと言っておりました.
今回のナチョラルハイジーンはほぼ100年の歴史があり,れっきとした治療成績があるとのことでした.そこが他の治療とは違うと言われておりました.

最初の写真のように スムージーから始まり,超ベジタリアンでした.これは健康だろうと思いました.調理もさせていただきました.私はいちばん簡単なスムージー作成の係でした.

その後一班6人ぐらいで分担してこんなに作りました.正直食べれませんでした.

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包丁なんかもったのは いつ以来か...でした.

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このような食生活なら 絶対に健康だろうと思いました.健康を害した人は是非やってみる価値のある食事療法です.ただ接待もある男性は継続するのがとても難しいと思いました.

でも朝のスムージー,今後実践したいと思いました.

ピース小堀の可能性無限大! イベントに参加しました 2016.8.18

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神谷宗幣君に誘われて ほとんど何も知らずに木曜日に行きました.苫米地英人系のコーチングだと思いましたが.臨場感の上げ方がうまく,聴衆を乗せるのがとってもうまいです.少しでも救われる人がいたらうれしいです.その後は神谷君のもとで集まっている同志での食事会,発展しそうです.. 小堀さんのコーチングには勉強になりましたが,私がクライアントになる必要はないと思いました.でも人それぞれで 人助けしているんだと感動しました...

親父の初盆でした 2016.8.13

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親父が昨年11月に亡くなり,今回初盆でした.迎え火から送り火,食事も高橋家でしました.今は総勢15名程度でした.毎年迎えるたびに本家がするとのことで大変だなあ,と思いました.親父がいなくなり来年初めには親父のひ孫が3人生まれます.時は進みます.長男家大変だと思いますが,賑やかになります.
最近いろいろ勉強していると 死後の世界も勉強します.私は現在超情報場仮説で考えているので身体が滅びても情報(ある意味の魂)は継続し,またその情報が進化していくと考えています.単なる生まれ変わりではないと思っておりますが,仏教的な縁起を感じております.

私の兄弟は4男で私が生まれたとき親父が”もう4人も男いらんから 病院にほかっとけ!”といったとおふくろがよく言います.親父は私にはとても優しかったですが,長男次男は何度も殴られたと言ってますし,親父を知る人たちからはせっかちな人で暴れん坊だったと聞いております.年に一回は親戚一同が集まるのもいいものだと思いました.