ミュンヘンでの 観光を書きます.
ミュンヘンのホテルからの景色です.青空と綺麗な教会が見えました.
ホテルの前の公園にピアノがあり,夜までピアノ演奏が聞こえてきました.文化の違いを感じました.
ミュンヘンにある 旧王宮レジデンツ 旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮 期待せずに入った分,綺麗でした.でも欧州はほぼすべて中世のもので同じですね.日本は1500年の歴史が時系列のごとく生きて残っているのがすごいと,日本の凄さを思いました.
言わずと知れたノイシュヴァンシュタイン城,ディズニーランドの原型.下記が説明文
バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された.2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた人物で、ワーグナーを庇護し、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。一方、ヴァルトブルク城やヴェルサイユ宮殿を目にしたルートヴィヒ2世は、「私自身の作品」として自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意し作ったが,ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された実用には不向きな城である。2世は内向的で,客を呼ぶ人ではなく,薄暗い内部がその性格を物語っているとのこと.この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われている。
今回は日本人のガイド,日本人だけのツアーでした.集合場所にいつも講演会で演者で見かける先生がお見えになり,その奥様だけの参加でしたので 我々と行動を共にしてもらい,途中ビールも飲んでいただき,とても気さくないい奥様でした.いい出会いでした.その教授はEASDの仕事であったらしく,あとから丁寧な御礼メールがきていました.一人で困っている方がいたので一緒に行動させていただいただけなので,こちらもいい出会いに感謝しております
添乗員から聞いたのですが,ドイツは食物自給率がほぼ100%,またドイツ人は身体は大きいが怖がりだとか.. イギリスのユーロ離脱はやはり大変なこと. 難民はちゃんとすみ分けているとのこと ドイツの収益の半分はバイエルン地方だとのこと あとインド人のツアーガイドもしたことがあるが,ツアーに来る人はインドの高い階層の人なので トイレに入っても後片付けができない,やったことがない,やってはいけない(後片付けは下層のカーストのひとがやる)らしく,インド人の観光客ツアーの後のトイレはすごいことになっているとのことでした. ロシア人中国人は声が大きい.アジア人の中でも日本人は非常にマナーがよく,ありがたがられているとのことでした.またドイツ人は古いものをとても大事にしている点は日本は全然違うと日本人ツアーガイドが教えてくれました.
下記写真はミュンヘン近郊の カトリック教会 ヴィースの巡礼教会.
ヴィースの巡礼教会
1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したという。教会ではこれを奇跡とは認定しなかったが、この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方であった。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会である。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年であった。設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移し、亡くなるまでこの教会を見守り続けた。
外観は牧場の中に建つ、非常に質素な教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっている。
食事:
L’Osteria (Künstlerhaus)
初めてのミュンヘンでの食事 一つがでかい!!
かみさんが気付いたが 屋外で食べていたが,野鼠がいて,女性は食事どころではなかったみたい.でも値段は安く,おいしかった