ホルミシス療法のある早瀬内科クリニックを見学した後 同門の講演会で講演してきました。2016.1.23

以前東京の川嶋先生に紹介されて横浜のリードアンドカンパニーに行きました。ホルミシス温浴療法の見学に行きました。そこで名古屋の早瀬先生を紹介 されました。横浜では低放射線療法を体験してきました。ほぼサウナに1時間入っている感覚でした。とても楽でした。代替医療は高額で点滴などの手間がかか ることが多いのですが、ホルミシス療法は 温泉に入った感覚で治療ができました。これは癌末期の方とかによいと思いました。今回名古屋で早瀬内科クリニッ クに行ってきました。港区でした。

優しい先生で、私の5歳ほど上の方で 海外留学までしており、心臓治療のステント治療のスペシャリストだ けれども身内の不幸で南区の実家の診療所に入り、今に至っているとのことでした。早瀬先生も統合医療に興味があり、東京へも何度か勉強に行かれているよう です。私も参加していた水上先生の勉強会にも出ていたようです。統合医療の話をしてきました。

話の中でお互いの実家が実は数百mの近くにあったことがわかり、同じ中学の塾に通っていたこともわかり、とても親近感がわきました。今後当院の患者さんが早瀬内科クリニックの統合医療に紹介させていただけることを快く了解されていただきました。とても有難いです。
その後急いでヒルトン名古屋に身内の講演会の演者として行きました。私は母校名古屋市立大学では消化器内科の研究をして胃粘膜障害で博士論文を取得してお ります。現在の名市大の消化器代謝内科の教授であり、私の直属の上司である城教授から今回の講演会の演者を依頼されました。
2016-01-23 17.11.43
S__13459462
内容があまりなく、当院での胃腸症状の治療について20分話しましたが、話したりなかったです。講演会終了後城教授らと7人でカラオケのあるクラブに行き ました。城教授はとてもストレスがたまっているようでした。歌も一緒に歌い、喜んでくれたようです。今後も城教授等大学の先生と一緒に行くことになりそう です。上司が喜んでくれれば有難いです。恩返しですね。

1月16日 京都で”日本はいかに素晴らしいか”⇒東京;糖尿病勉強会、分子整合栄養医学勉強会にでてきました。その後名古屋でミヤンマーの青年と会食しました。

1月16日 土曜日午前外来診療終了後新幹線にて京都へ。急いで行きました。30分近く遅刻してしまいましたが、私がよく講演するリッツクラブでの講演会でした。今回は中学生も来てくれました。ほぼ女性です。日本の歴史を話し、いかに日本は素晴らしいかを話しました。 我々は自虐化する必要はない事、情報操作されて自虐化している現実を講演してきました。 その後東京の講演会に行きました。
2016.1.2
 糖尿病新薬の話で 去年9月に大規模研究にて素晴らしい結果のでた薬です。通常の講演内容で面白くなかったです。もっともっと話すべきことはあると思うのですが。。。2016.1.1
翌日は分子整合栄養医学の勉強会でした。元来の精神科的な疾患への栄養療法と内科医でもだせる精神科医の薬の話でした。とても有意義でした。早めに退出して、名古屋でミヤンマーでお世話になったタン先生の息子さんチョウ君に我々の家族で会いました。
2016-01-17 19.42.52
 22歳の青年で日本の専門学校に通っていました。3年ぐらい前から日本に来ており、日本語は堪能でした。西区在住でミヤンマー人の奥さんと住んでいます。奥さんも日本語学校に通っているそうです。チョウ君の夢はミヤンマーで焼肉レストランを経営することだそうです。夫婦で毎日アルバイトしているようです。我が息子とはえらい違いです。やはり、日本人は甘いですね。”チョウ君の日本における親父(兄貴)になるから、何でも相談しなさいよ! また会おう”と別れました。息子がまた増えました(笑)

第二回ミヤンマー視察  4日目

4日目は国立大学の内分泌学教授と午前中にお話しさせていただきました。もう定年になり、国立病院から私立病院に転勤になったそうです。とても優しく、”何かできることはある?”と聞いてくれました。
2015-12-30 09.46.36

その後は通訳の住まいで 地元の食事をいただきました。おいしかったです。通訳のおじいちゃんやおばあちゃんも同居されており、糖尿病を患っていましたのでデータ、薬をみて今の状況をお話しさせていただきました。喜んでいただけたようです。通訳の方とはとても仲良くさせていただき、ご自宅にも招いていただいたのは前回はなかったことでとてもありがたいことでした。
2015-12-30 13.13.18
2015-12-30 14.39.23
 その後はミヤンマーの観光スポットを回りました。

池の周りから シュエダゴン・パゴダをみる観光地
2015-12-30 12.26.34

ヤンゴンから 田舎へ行きました。バイクが多くなり、畑がでてきました。川の水が生活用水だと聞きました。
2015-12-30 15.36.24

バスはヤンゴン市内では ボロボロでしたが、田舎では結構きれいな感じがしました。でも何か違和感があったのは バスの扉が走行中空きっぱなしで そこにまで人が乗っていることがあり、、危ないと思いました。通訳に聞いたら暑いからでしょうとのことでした。よくある、車の上に人が乗って走っているのも当然のように存在しました。
2015-12-30 15.50.552015-12-30 15.51.04

サファリパークみたいなところがあり、行ってみました。とても自然でした。猿と鹿しかいなかったのでお客さんが気楽に道路に出ていたのが印象的でした。私が日本のサファリパークに行った時は野獣もいたので、外にはでれないのとは対照的でのんびりできました。
2015-12-30 15.55.49
2015-12-30 16.00.06
2015-12-30 16.28.57
2015-12-30 16.28.46

またミヤンマーにある高速道路の入口にも行きました。物凄く広い道路で地面がとても綺麗でした。通訳によるとミヤンマー人は結構運転が荒く、よく事故をするそうです。
2015-12-30 15.40.17
夜19時にヤンゴン発で、タイ経由でセントレアに31日7時に帰国しました。日本は寒かったですが、やはり安心します。

今回は私一人で行きましたが、とても優しさを感じたミヤンマーでした。また2016年の5月にミヤンマーが新政権になってから再度複数人で行きます。それまでに名古屋でミヤンマー人と話し合ってみたいと思います。前回とは展開が違い、進んできました。

第二回ミヤンマー視察 第3日目

3日目は 前日のパンライン病院(入院施設あり)のタン先生が パンライン病院のダウンタウンのクリニック施設を案内してくれました。
2015-12-29 10.54.30
ダウンタウンのこちらのクリニックには丁度糖尿病専門医がおり、30分ぐらい話しました。今後専門医通しの交流をしましょうと言う程度で終わりました。まあそこからでしょうか。前回糖尿病専門医の若手医師DrKOKOと会えましたが、今回は結局連絡がうまくつかず、会えませんでした。
2015-12-29 11.44.49
優しい先生でした。栄養士のシステムがない中、栄養運動療法を全て医師が話している(ミヤンマー人の患者はそれを望んでいると医師は話していましたが)ようでした。まだ外来はそれほど混んでいないようでした。ミヤンマーはまだ医療保険制度がなく、2016年4月から始まる民主政権で決まっていく段階だそうです。まだこれからの分野です。。
2015-12-29 15.19.49
2015-12-29 15.14.18
昼は 鍋料理の店でした。マンダレー薬科大学の教授でした。とてもやさしい女医さんでした。料理はまあまあおいしかったのですが、店内がうるさくて話半分でした。でも必ず会うミヤンマー人医師は”何がしたい?手伝いよ”と言ってくれます。私のやりたいことは決まっているのですが、具体的な発進が難しいです。いろいろな病院で糖尿病センターを立ち上げると言っておりましたので そこに臨床糖尿病専門医としてアドバイスすることがまずは一番早いかと思いました。
 次は商社の社長と懇談です。ここでは薬の輸入について主に聞きました。
2015-12-29 16.59.20
 なぜ日本の製薬がミヤンマーにないのかと聞きました。まずは自費診療で薬の値段が高く、量的には薬はでないこと。インドやタイの製薬会社はちゃんと医師に説明し、そこで試験的にだしてもらい、感触を経てから実際に処方するとのことです。そしてミヤンマーでは英語、もしくはミヤンマー語の添付文書がないと信用されず、日本の薬は勿論日本語しか添付文書ないので広まらないそうです。一番は値段的なこともあると思いますが、改良すべき点があるのがわかっただけでも良かったです。
 その後はミヤンマーで農業に関わっている日本人の方との会食がありました。”藤の坊”という日本食レストランでした。宿泊施設もあり、ミヤンマーで初めてトイレにウシュレットをつけたホテルだそうです。責任者が女性で、とても気さくでした。感染症の怖い話もしてくれました。昼の蚊には気をつけて と言ってましたが、現地ガイドに聞くと、今はほとんどないですよと言われていました。
2015-12-29 20.03.40
そこに私と同い年のミヤンマー人夫婦が来ました。なんと、名大卒でブラザーに勤めていて名古屋在住。娘も名大であと二年は名古屋に住むとのこと。ミヤンマーの未来を真剣に考え、行動できる人らしく、今後は名古屋でお話しできることになり、とても有意義な時間でした。今までのミヤンマーでは一番の収穫だったかもしれません。その日本料理店にはミヤンマーでの秋田県人の集まりもやっており、お話しさせていただきましたが、秋田弁は少しわかりにくかったですね。というか結構わかりませんでした。

第二回ミヤンマー視察 2015.12.27-31 第1-2日目

いつもなら 12.28日午前中まで診療するのですが、今年は月曜日ということもあり、28日を休みにさせていただき、ミヤンマーに第二回めの視察に行ってきました。
 27日は セントレア11時発バンコク行きにのり、19時(現地時間)にヤンゴンに入りました。暑かったです。昼間は30度超えておりました。でもほとんど晴れで夜は過ごしやすい状況でした。長袖でジレ(ベスト)着ているのは私だけでした。ジャケットは手に持っているだけでした。汗だくほどではありませんでした。湿度は高くないようです。

今回は前回と違って一人旅となりました。ミヤンマーでは日本語のできるミヤンマー人の通訳とすべて同行です。初日の夜はフジという日本食屋で通訳の方と夕食とりながら、私の医療の話を聞いてもらいました。

 28日はパンラン病院に行きました。実は前回最後に行った病院で そこのマネージャには失望した病院でした。
今回は通訳のツテで その付属したゴルフ場の地主でもあり、病院の歯科医でもあるタン先生と会いました。
2015-12-28 09.20.50
2015-12-28 11.30.19
物凄く親切でビックリしました。ミヤンマーでの付き合いは 人づてと聞いておりましたが、まさにその通りでした。その甥であるヤン先生はその病院の経営部門にいる医師でこんな私に3時間も付き合ってくれました。
糖尿病センター等における知識の情報交換、当院診療システム(医療秘書が打ち込む電子カルテを二診体制)、栄養士・運動トレーナーの育成・それによる各富裕家庭への個別情報提供等、ホリスティック医療の発展を話しました。今後病院役員と相談してみるとのことでしたが、これからの話し合いでしょうね。タン先生の息子さんは今名古屋に住んでいるそうで、病院見学後は隣のゴルフ場も見せていただいた時に奥さんとも逢わせていただきました。名古屋に帰ったら息子さんに連絡して、健康管理を私がさせていただくことを話しました。

2015-12-28 09.25.10
 上記写真は病院のお祈りする部屋でして、さすが仏教国と思いました。よくみると、鎌倉の大仏様の写真があります。ミヤンマー人は大仏様は奈良より鎌倉だそうで、鎌倉のお土産を凄く重宝がるそうです。昼飯はパンライン病院の食堂で食べました。
その後シャングリアホテルで 旅行会社のライさんに会いました。
2015-12-28 15.51.43
ミヤンマーでの観光はと聞いたら、やはり寺院で朝か夕方に行かないと暑くてしょうがないようです。前回は昼行ったので暑かったです。日本人の印象も聞いたら10人中8人以上は好印象だそうです。ミヤンマーが軍事政権の時に日本がアメリカと同調して経済制裁的なことをしたのを良く思っていない人はいるそうです。ミヤンマー人は本当に親日でした。ヤンゴンはオートバイ禁止で、車の渋滞は凄いのですが、その車の9割以上がトヨタ!!なのが本当に驚きで、トヨタ神話は凄いです。
2015-12-28 08.12.54
 夕食は目当ての店が休みでした。ヤンゴンは土地のレンタル契約が半年ぐらいらしく、その後は家賃が跳ね上がるのですぐに場所がかわるそうです。結局中華料理を食べました。2015-12-28 19.17.18
2015-12-28 19.31.28
通訳のアウンさんです。
2015-12-28 19.31.07