どの先生と話しても研修医時代の思い出が一番楽しいですね。私もそうです。寮でなく一人で住むのは旭労災病院が初めてでした。そもそも我々平成二年卒名市大一内研修医15人ぐらいの中で最初の赴任先でした。皆旭労災を嫌がりました。忙しくて、給料低かったからです。ジャンケンで私が負けました。赴任するのが嫌で嫌でしょうがなかったです。その時には10か月後に結婚することが決まっていました。自分みたいに甘い人間にはこの厳しい環境は実はよかったと、今では思っています。かみさんには新婚生活も新婚旅行は良かったですが、それ以外はポケットベルをもたされ、すぐに呼ばれる環境で申し訳なかったと思います。旭労災病院赴任中に長男が生まれております。
一緒にいった加藤先生と1月4日に待ち合わせて病院行こうとして、呼びに行ってもいません。一人で行きました。加藤先生は実は夜中に病理解剖で呼ばれていたのです。そう旭労災病院の特徴は病理解剖が多いのです。病理解剖とは病院で死亡された方の解剖です。たいがい丑三つ時の朝方2時です。一番下の研修医が呼ばれます。慣れてくると一人でやっていました。1月4日病院に行くと一病棟の患者さん50人程度の主治医となりました。二人主治医制でした。専門の先生と研修医の組み合わせです。50人もいれば重症患者さんもおり、また研修医なんでほぼ素人ですから朝8時から24時までは病棟にいました。凄く勉強になりました。一日中病棟にいるので看護婦さんにはよく夜食とかもらいました。本当に同僚なんだと感じておりました。また勿論当直もあり、断ってはいけないので寝れない当直が多かったです。研修医で一人の当直もあり、ヒヤヒヤした思い出があります。院内の職員宿舎にすんでいましたので 内線電話もしょっちゅう鳴っておりました。二人主治医でしたので先輩医師の治療、話し方も凄く勉強になり、私の診療の源流となりました。他の同期の暇で給料が高いやつらの話を聞くと、うらやましかったですが、”苦労は金払ってでも行え”で 本当によい鍛錬でした。毎年二人は研修医がくるので研修医仲間が10人ぐらいいました。”同じ釜飯と食った仲”で先輩後輩ともいまだに会うと親近感がわきます。本当に貴重な6年間でした。